平成最後の夏。

 

“平成最後の”というでかい看板がついた夏が迫ってきている。毎年この時期に感じる夏への期待感みたいなものは 知らぬ間になくなっていて 気付けば夏は終わっている。人混みを避けるような僕でも祭りには胸踊らせ ふらっと歩いてみたりするが、特別この季節が好きというわけではなく、どちらかと言えば暑いので嫌いである。

 

“最後”という言葉はずるい。集大成、一度きり、二度と来ない。そんな言葉に駆り立てられて さらに人は引き寄せられる。人間も所詮寂しがり屋で、最後くらいは誰かと一緒でありたいものかもしれない。

 

平成最後の春ではなく 平成最後の秋でもなく 平成最後の冬でもない。期待感がずば抜けているのは“平成最後の夏”である。聞くだけでそわそわする。よく自惚れの阿呆が「夏のせいだ」なんて口癖にしているが、一度は使ってみたいものだ。僕の頭の中にある 夏の純粋ラブストーリー。

 

浴衣、かき氷、花火の後

「ぜんぶ夏のせいだね」と呟く。

二人歩く平成最後の夏の夜道。

 

嫌いだけど嫌いになりきれない夏が来る。

 

 

春休み。

ここ数日、携帯の通知を切った生活をしている。就寝時間が早くなる、聴いている音楽が途切れない、本を読むことに打ち込める。目に飛び込んでくる情報が年々増えていくことにふと気づいたときは、もう既に何年分もの疲労がたまりきっていた、ように感じる。

 

情報社会から抜け出すにはやはり文學だよな~という、誰から教わった物でもない、昔からあるわたくしの固定観念がより活字に目を走らせた。映像という最も理解しやすいものに大変甘やかされたわたくしの脳みそは、少々機能不全気味だったが次第に処理能力が加速していった。 “文字から想像を掻きたてる” なんて素敵なことだったんだろか、みたいな感想はあと3ヶ月は沸いてこないだろう。

 

小説の中でも、風情が感じられる作品が好きである。舞台は京都か鎌倉、登場人物はどこか古風な口調、古書の収集癖のある大学生...なんて作品ならバッチグーで、そんな和風フィクションに逃げ込むことの心地よさを覚えてしまった。

 

身のまわりにある“当たり前”なものを敢えて外してみる。真っ白に敢えてしてみる。そんな事が出来るのは今だけかもしれない。大学受験を常人に比べ2年費やしたわたくしにも就職の2文字がもう2年と迫ってきている。

 

そうやっていくうちに自分の好きなもの、好きな場所、好きな人、これからやりたいことが浮かび上がってくる気がしている。

 

『昔の自分がどうだった、なりたい自分がどうだったから今がどうだじゃなくて、今ここにいる、今のあんたがなにすんだってこと!!!』

 

って大好きなロックバンドの人が言ってたな。

 

さあ、いまの自分は何がしたい?どうなりたい?

 

そういう春休みも人生に一度はあってもいいんじゃないかな、

 

 

もうしばらく文學世界にいてみようかな、なんてね。

 

きっかけばかり探しているようで

 

音楽に頼って

 

映画に頼って

 

他人に頼って

 

力を貰ったつもりで

 

麻痺していくような気がして。

 

 

 

どんなにいい言葉でも

 

人によっては輝かない。

 

 

 

どんなにありふれた言葉でも

 

輝かせる人もいる。

 

 

 

飾ってみないと 飾らない言葉の素敵さには気づけないし

 

一度離れてみないとわからないものだらけ。

 

 

 

思い切って手放して

 

また戻ってこればいいと思う。

 

 

 

難しい方に行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ何日か体調が良くなかったのと、バイトの連勤続きで完全にバタンキュー。なんの病気かわからんけども、腹痛が半端ないからノロウイルスとか胃腸炎がよぎる。こういう精神的にも身体的にもずたぼろの時は、いろんな悪いことが頭の中を行き交う反面、普通の生活がどれだけシアワセかを実感する。

 

日常生きてく中で、なんとなくの行動って無数にあると思う。そりゃ人間も限界のある生き物だから、「この行動が◯◯年後の自分に繋がっている!!!」なんていちいち考えてたら間違いなくパンクしてしまう。だから普通って何だろうって考えるのは、何かが欠けてしまった時が圧倒的に多いと思うんだ。実際、親を亡くしてしまった後に気づく有り難さとかよく聞く話。身近に感じられるものには、慣れや恥ずかしさが覆い被さって、本心を隠してしまう なんて事すら気づかない。

 

海底に沈んだとき、上すら見上げることも出来ないような状況が何度あったか。それでも陸まで “普通”まで這い上がってきた自分がいるはず。って考えがあっても良いのかなってね。

 

沈んだからには沈んだなりの景色があり、のちのち人として深みがでてくる。

 

普通は当たり前じゃないって事。感謝は感謝出来るときに、鮮度をもって。

 

明日病院行ってきますね。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

最近。

ゼミ選択の時期でクリーンなことを知らない僕の脳みそは既にキャパオーバー。とにかく悩み事が多い。自分が“仕事”としてやっていきたい事と、“生きがい”としてやっていきたい事に差がある。人間80年生きるとして、22歳から働き始めて65歳まで働いたとして、約40年間、人生の半分が「働く」ことになる。その方向性の決断がまたやってきた。正直、決断は苦手だ。どうしてもデメリットにしか目がいかないし、迷いが断ち切れないのが昔からの悪い癖。「迷っても仕方が無いよね~。答えなんかないもんね。」っていつかのあの子が言ったっけな。楽観主義のようで実は核心をついた発言なのかもしれないと思ったのは最近のこと。

 

物事には無限の可能性があると思う。もちろん僕たち人間もまた然り。隠された、というより今持ち合わせていないものをこれから手にすることにおいて、すごく多様性に富んでいる。それぞれに選択肢があって、すごく自由だ。バイトも嫌なら今すぐにその場から逃げることだって可能なはず。(良いことではないけど笑)

 

だからこそ、混じり合わないもの同士の衝突には面白さがあると思う。僕は“仕事”としてやっていきたい事の方向性について今、選択が迫られている。その中で、ひとつのテーマのアプローチの仕方を何通りも考えることを意識している。例えば、経済学的に、社会学的に、哲学的に。テーマとアプローチに意外性があって、それが普遍からかけ離れているほど、難しいけれど、誰もやっていないからこそ、そこに価値が生まれる。そうやって異なるもの同士を繋いでいくなかで、いろんな価値観をみて、反発や吸収して行ければいいと思うし、それが結びつけるヒントを得るきっかけになったりする。

 

今は結びつかない“仕事”と“生きがい”。いつか結びつけてみたいと思う。

 

どこにきっかけがあるかはもちろん分からないけど、歩いた道が答えになっていくんだろう。

 

 

そんな僕もあの子のあの言葉に救われた。ヒントは通った道に落ちていた。

 

 

 

 

見えるもの 見えないもの

 

外見を飾るって大事だと思う。

 

 

 

女の子だったら化粧とかオシャレとか

男の子だったら髪染めたりとか。

 

 

 

自分をよく見せよう

人からよく見られたいと思うのは

人間に生まれながらにあるもの

 

 

 

好きな人を振り向かせようと

今日は髪型を変えてみようかなとか

こっちの服の方がいいかなって

吟味するのはすっごく素敵なこと

 

 

 

でも多分それだけじゃないと思う。

 

 

 

誰だって素の自分を見てほしかったりする。

 

 

 

好きの始めは見た目かもしれないけど

好きのあるべき姿は 心と心。

 

 

 

核心をつく言葉をどこかで待っていたり。

 

 

 

興味を引くきっかけ、

知ろうとするきっかけは外見。

すごく大事。

 

 

 

だからそこに

外見の変化から何かを気づいてあげたい。

 

 

 

見ているものこそ偽りで

見ようとすれば余計見えなくなって。

 

 

 

でもその心遣いが嬉しかったりして。

 

 

 

空ぶりでもおせっかいでも

それはそれでいいんじゃないかな。

 

 

 

気にしている って感覚を

大切な人には絶やさないでいたい。

 

 

 

 

 

心こそ外見に出ちゃうもんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

弱くても。

 

どんなに意気込んでも

納得、満足出来ない自分がいつもいて

どうしてなのかなと考える。

 

 

 

しっくりこなければやらなければいい。

 

 

 

もう20も越えた。

 

 

 

大学だって義務じゃない。

 

 

 

見れば見るほど知れば知るほど

自分の価値観と世界は広がって

ちっぽけに感じるのかもしれない。

 

 

 

申し訳なさを背負って

親にも泣きながら頭を下げたこともある。

 

 

 

行き着くところがなくて

涙が止まらないって経験もある。

 

 

 

世界を知って

ただ情けないとすら感じた。

 

 

 

それでも生きてきたのは

欲をかいて諦めなかった自分がいるから。

 

 

 

だから弱いままでいいから

深く物事を考える人になりたい。

 

 

 

いつだって悩んで

いつだって感傷的で

いつだって嘆いていたい。

 

 

 

弱い僕の唯一の強みを

ひとことで伝えてくれる人もいる。

 

 

 

そうやって今まで救われてきた。

 

 

 

満足しないのは成長の兆しだ。

ただ力は抜かずに。

 

 

 

謙虚さと自分らしさと。