平和とは。

 

8月9日。

 

 

 

長崎原爆の日

 

 

 

今の当たり前が
当たり前ではなかった時代があり
慣れの連鎖が当たり前を生む。

 

 

 

平和は築き上げられたもの。
平和は語り続けられたもの。

 

 

 

いつだって当たり前などない。

 

 

 

戦争経験者が年々減る中で
自分のような若者達が
何を感じ何を考え何を発信するか。

 

 

 

祈りを捧げるだけではなく
行動を起こさなくては。

 

 

 

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どんよりと澱んだ曇り空を見て
“平和”の二文字が恐ろしく感じた。

ラジオから。

 

ラジオとの出会いは小学生の頃で

きっかけは親から譲り受けた

古いラジカセだった。

 

 

 

今のようにインターネットが身近にない

もちろん携帯も持っていなかった僕にとって

そのすべてが新鮮だった。

 

 

 

何気なく寝る前によく聴いていた

そんな中でぐっとくる曲が不意に流れてくる。

 

 

 

でも曲名も歌詞名もわからなかったり

すぐに忘れてしまったり。

 

 

 

人生を変えるような感動も

2回目に出会えなかったことで

はかなく消えてしまう。

 

 

 

今ではそれも風情だと言える。

きっと検索したら見つかるし

YouTubeにはMVがあって

何度だって聴くことが出来る。

 

 

 

それでもうろ覚えながらCDショップに行って

片っ端からタイトルを追って

少ない小遣いの中、一か八かで借りて

出会えた2回目の感動は忘れられない。

 

 

 

そういう巡り合わせは素敵だ。

 

 

 

今はとにかく音楽が溢れかえっている。

すごく良いことだし

僕も音楽には助けられている。

 

 

 

でもありふれすぎて

少し疲れた気がするんだ。

 

 

 

音楽を通しての人との繋がりが大事にされすぎて

どこかさみしい気がした。

 

 

 

もう一度音楽そのものと向き合ってみたい。

 

 

 

ラジオからもう一度。

 

 

 

 

 

原点に帰ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己の肯定。

 

 

些細なことで憂鬱になる。

 

 

 

 

 

悩んでも悔やんでもそれでも明日はくるし

 

歳を重ねるごとに

 

世界を、現実を知るたびに

 

切り替えるのが難しくなって

 

大人になるにつれて

 

逃げられない立場になっていく。

 

 

 

 

 

昨日を引きずって

 

今日を無駄にはできないし

 

今日は今日でまた苦しくて

 

昨日は今日に掻き消されていく。

 

 

 

 

 

生きることに慣れてしまった大人は

 

童心をただ懐かしむだけで

 

毎日をこなすだけ。

 

 

 

 

 

結論は自分を肯定していたいはずで

 

きっと確信的な何かを欲しがっていて

 

でも人間だから

 

付け足せる取り消せるから

 

不安で不安で仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 

それでも信じていくしかないんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

きっとすべてに意味があるし

 

見えないようで

 

見てないだけなんだと思う。

 

 

 

 

 

転がってる幸せに目を向けて

 

ひとつひとつ噛み締めて

 

昨日より今日。今日より明日で。

 

 

 

 

 

いい意味で

 

ずっと子供で

 

ずっと青くいたい。

 

 

 

 

 

そういう自分を肯定したい。

 

 

 

 

 

 

 

何かを常に追っていたいと

 

いつまでも青春なんだと

 

 

 

 

 

 

最近少し変われた気がするんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい基準。

今日徹夜して考えてたのは

「売れてる売れてないの基準」

 

 

CDが売れなくなった現代で

アーティストの評価基準は何なのか

動画の再生回数?高評価?

 

 

いろいろ考えたけど

判断基準自体、売れるって感覚自体が

もう古いよなって話。

 

 

CDの売上枚数が評価になってた時代は

もう終わったんだから

基準も終わらせないと。

 

 

握手券目当てのCD大量購入や

ダウンロードが主流の今、

バンドがどんどん出てきて

好みも考え方も多様化している。

 

 

基準は「自分に合うか合わないか」

でいいんじゃないかなと思う。

 

 

僕は日常に寄り添う音楽が好きで

ラヴソングとか季節の歌みたいに

何かないと共感しにくい曲よりも

学校の行き帰り、お昼休み、寝る前

何気ない日常に色味を持たせてくれる

そんな音楽が自分とマッチしてる。

 

 

アーティストも

評価の仕方も変わっていくなら

聴き手も変わらなきゃね。

 

 

「自分に合う」の自己主張が

個性を伴った新しい判断基準。

 

 

今日はCloque.の『蒼』から。

音楽と寄り添い合いながら生きます。

 

 

 

気づきと出会い

今日は“世界から猫が消えたなら

という映画を見た。

 

世界から 電話 が消えたなら

世界から 映画 が消えたなら

世界から 猫 が消えたなら

 

そして世界から 私 が消えたなら

 

自分の身の回りにある何気ないもの

そのものがなくなれば、

仮になかったことになれば

出会えてなかった人がいる。

 

この世界はかけがえのないものばかりで

でもあまりにも当たり前すぎて

気づかない、気づけない

 

そんな中でこの映画がきっかけをくれた

映画そのものがなかったら

筆者が作品を出さなかったら

 

考え出したらキリがないけど

気づけてよかった

ありがとうのひとこと

 

死ぬ前に後悔しない生き方を。毎日。

 

親もそう

いなければ 私 は存在しなかった

 

いつもは自分からはかけない電話を

なんとなくかけてみた。

素直なありがとうが成長の証

 

思ったらすぐ伝える。

 

大事と思いながら後回しにしてきたこと

 

気づきに感謝。出会いに感謝。

 

タイトルからは予想できない

メッセージ性の高さに

終始号泣でした。

 

 

そんな日々の気づきを

長めに書けたらなと思ってます。