最近。

ゼミ選択の時期でクリーンなことを知らない僕の脳みそは既にキャパオーバー。とにかく悩み事が多い。自分が“仕事”としてやっていきたい事と、“生きがい”としてやっていきたい事に差がある。人間80年生きるとして、22歳から働き始めて65歳まで働いたとして、約40年間、人生の半分が「働く」ことになる。その方向性の決断がまたやってきた。正直、決断は苦手だ。どうしてもデメリットにしか目がいかないし、迷いが断ち切れないのが昔からの悪い癖。「迷っても仕方が無いよね~。答えなんかないもんね。」っていつかのあの子が言ったっけな。楽観主義のようで実は核心をついた発言なのかもしれないと思ったのは最近のこと。

 

物事には無限の可能性があると思う。もちろん僕たち人間もまた然り。隠された、というより今持ち合わせていないものをこれから手にすることにおいて、すごく多様性に富んでいる。それぞれに選択肢があって、すごく自由だ。バイトも嫌なら今すぐにその場から逃げることだって可能なはず。(良いことではないけど笑)

 

だからこそ、混じり合わないもの同士の衝突には面白さがあると思う。僕は“仕事”としてやっていきたい事の方向性について今、選択が迫られている。その中で、ひとつのテーマのアプローチの仕方を何通りも考えることを意識している。例えば、経済学的に、社会学的に、哲学的に。テーマとアプローチに意外性があって、それが普遍からかけ離れているほど、難しいけれど、誰もやっていないからこそ、そこに価値が生まれる。そうやって異なるもの同士を繋いでいくなかで、いろんな価値観をみて、反発や吸収して行ければいいと思うし、それが結びつけるヒントを得るきっかけになったりする。

 

今は結びつかない“仕事”と“生きがい”。いつか結びつけてみたいと思う。

 

どこにきっかけがあるかはもちろん分からないけど、歩いた道が答えになっていくんだろう。

 

 

そんな僕もあの子のあの言葉に救われた。ヒントは通った道に落ちていた。